日本ではこれが「無罪」になってしまうのか。
「こんな国に産んでごめん」の見出しに『?』と思い、読んでみて驚愕した。
ニュースの抜粋とコメント欄、なるほどなと思うところもあるが、
その反面、随分とやりきれない気持ちになりました。
ただの「轢かれ損」だと、「運が悪かった」だと、
それで済まされてしまうのでしょうか?
15歳少年死亡事故 同じ事故で3度目の裁判…高裁で“逆転無罪”
「救護義務違反の罪は成立しない」
https://news.yahoo.co.jp/articles/66149fd30f8a1d63effc4d47c22184d8d0d589a3
2015年3月、佐久市の横断歩道で当時中学3年生の和田樹生さんが車にはねられ死亡しました。
運転していた御代田町の会社員池田忠正被告は事故を起こした後、飲酒運転を隠そうと近くのコンビニ店で口臭防止剤を買っており、すぐに救護しなかったとして、救護義務違反・「ひき逃げ」の罪に問われ、2022年11月、長野地裁が懲役6カ月の実刑判決を言い渡しました。
田村裁判長は「被告がコンビニで口臭防止剤を買って戻るまでの時間は1分余りで、すぐに救護している」「飲酒運転の発覚を免れようとする意志と救護しようとする意志は両立する」とし「ひき逃げ」には当たらないとしました。
そして、一審の判決を破棄し、被告に無罪を言い渡しました。
> 飲酒した上で車を運転し、更には横断歩道を歩いていた人を跳ねて死亡させたんだぞ。
しかも一度は現場から逃走して自分の飲酒運転を隠す行動を最優先したわけだ。
こんなもん悪質極まりないだろうが…
日本の司法はどうなっているんだ。
> 何なんだよ、日本の司法は。
保護者がコメントしている通り「こんな国で産んでしまってごめん」の心境が痛いほど分かる。
> ちょっと接触しました…という話ではありません。
飲酒運転の末、44メートルはね飛ばして殺してる訳です。
尚且つ、自身の飲酒の事実を隠すべく、救護よりもコンビニに走るという人間が
無罪というのがまかり通っていいのでしょうか。
この手の事件を見聞きする度に、もし殺したい人がいれば、直接刺殺とかではなく、
車で轢き殺すほうが刑は軽くなるという殺人マニュアルを公開してるような気さえしてくるのです。
私たちが求めている法治国家とはこれでしょうか。
> 例え数分だとしても、それが生死を分ける事は多々あります。
裁判官の考え方が一般市民と大きく解離している。
日本の裁判制度に不安をおぼえます。
> 東京高裁裁判官田村政喜によって、交通事故を起こし要救助者がいるにも関わらず、
飲酒運転を誤魔化すために現場から離れても、後で戻ればひき逃げにはならないという判例ができた。
> ひき逃げかどうかという裁判なので、ひき逃げでないという判決が出たのでしょう。
ただ事故を起こしてそのあと買い物をして(それも飲酒運転隠しのため)からの
人命救助はひき逃げでないとの判断は釈然としない。
一時的にも運転手の義務を果たしていない時間があったはずなので
それをこういう判決にするにはムリがある、というのが一般常識的な感覚ではないのか
> 飲酒運転についての裁判ではありませんので、
飲酒運転をして死亡事故を起こしたけど無罪です、ということではないと思われます。
あくまでひき逃げなのかそうではないのかを争った裁判です。
飲酒を隠すためにコンビニに寄ったわけで、
その場から逃げることが目的ではなかったのでひき逃げには当たらないという理屈ですね。
逃げる意思がなかった以上、司法はひき逃げ認定できないのでしょう。
酒を飲んで事故を起こした、被害者は若くして命を落とした、ということと、
逃げたのか、逃げていないのかは分けて考えないと感情に左右された判決になります。
こんなの、ご両親にかける言葉が見つかりませんって。
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