また磐田からのタレこみです(笑)
ただこのネタは最初のタレこみが磐田なだけで
現在どこの学校でも起こりうる話。
学校内での募金活動において恐喝にも似た強制がある実態。
学校全体での目標金額の設定
↓
各クラスでの目標金額の設定→
2 <目標金額に足りない場合>
↓
1 <目標金額に足らせる場合>
個人の募金する「べき」金額の設定
どうでしょう? お子さんの学校でもありますね。
「1人○○円」って言われて持って行きませんか?
そこで「募金」って定義、私は何となくこんな意味だよね、と言う
かなり曖昧な認識でしか理解していなかったので
今ちゃんと調べてみますねww
募金とは
環境・福祉・災害援助などに使う費用を寄付する事を言う。
ふむふむ。そーすると今度は「寄付とはなんぞや?」となり
寄付とは
金銭や財産などを公共事業、公益・福祉・宗教施設などへ無償で提供すること。
災害の際に被災地・被災民へ送られる義捐金・義援金(ぎえんきん)も
寄付の一つである。
経済において、寄付は福祉に係る費用の一部を担う重要な経済活動でもある。
イコールでまとめてみると
募金
=寄付
=無償で提供
=お金を差し上げる
=善意がなければ出来ない行為
ですね?
さて、ここで元に戻ってみましょう。
学校全体での目標金額の設定は悪くないと思います。
何かを始める時に目標があった方が頑張れるし目安になります。
次にクラスでの目標金額。
これもまぁ目標を設定し(1クラスだいたい30人位と考えても)
全員で協力すると言うキッカケになる部分では許容範囲ではないでしょうか?
問題は、1の
<目標金額に足らせる場合>です。
なぜ個人の募金単価を設定するの?これおかしくないですか?
本来は
「募金協力してくださーい」→「善意でお金くださーい」ですよね?
でも今は
「募金協力してくださーい」→「1人100円以上で全員おねがいしまーす」
と言う事になっている。
これでは『募金』と言う本来の意味をまるで無視した
そして意図する方向と逆になっちゃてる
募金という名の集金ではないですか!
実は、このタレこみがあった学校では名簿を使い
誰がいくら持って来てるかチェックしてます。
そして例えば1人100円の単価で決められていて
タロウ君が30円持って行く。
そうすると「あと70円持って来て」と言われるそうです。
そしていつまでも持って行かないと、、、、
なんと!
先生から「なんで募金を持って来ないの?100円の募金くらいしなさい」
と言われるんです。
では次に、2の
<目標金額に足りない場合>
これは少し前の別の学校での実話です。
募金と言うと、だいたいクラスに1〜2人「募金係」か「福祉委員」がいます。
花子さんは募金係でした。
募金の期間が終わる時、目標金額に少し足りませんでした。
責任を感じた花子さんは
コッソリ自分のお小遣いから、足りなかった分の金額を出したのです。。。。。
お母さん、あなたのお子さんは大丈夫ですか?
子どもなりに理不尽に思いながらも、責任感のある子はそこまでしてしまいます。
足りなかったお金が10円でも100円でも
そんな重荷を背負ってしまう子がいるんです。
じゃぁ、これが1000円だったら・・・?
今のこのシステムはおかしいと思いませんか?
もうとっくに『善意』と言う概念から逸脱している様に思います。
これは問題ですよね。
最後に、募金の行き先、ちゃんと知ってますか?
人の善意につけ込んで本来行くべき所にお金が行っていない現状もあります。
福祉の女王と呼ばれる「なんちゃら・チャン」が
恐ろしいほど贅を極めた豪邸に住んでいるの変だと思いませんか???
是非ぐぐってみて下さい。「名前 自宅」で検索。
都心の一等地である港区高輪には
「寄附金25億円」を使って「ユニセフハウス」を建設!
日本ユニセフ
http://blogs.yahoo.co.jp/strikerouge323/28224167.html
http://imashun-navi.seesaa.net/article/191936722.html
あしなが育英会
http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/1509930/
タレコミネタ、随時募集してます♪
遠州日の丸会 花緒