また言葉狩りするカスゴミ → いじめの構図似
先日、大和心を語るねずさんのひとりごと ブログで紹介されていたエントリを一部抜粋してご紹介。
<近年の初等国語教育への疑問>
「私は琵琶湖に行ったとき、その風景の美しさに感動し、ひとつの和歌を思い浮かべました」
という文章があったとすると、昔の教育なら、そもそも筆者はなぜ琵琶湖に行ったのか、
琵琶湖の風景はどのような点が美しいのか、そこから感動する心とは何か、
筆者はどのような和歌を思い浮かべたのだろうかといった、文意から様々な事柄を察しながら、
洞察力や情緒性を養おうとし、そのために必要な文法力や読解力が育成されていたわけです。
ところが近年の初等教育では、読んで君はどう思うかに力点が置かれます。
すると、
「琵琶湖に行ったから感動したのではなく、そもそも行く前に調べるべきだったのではないか。
「何をもって美しい風景といえるのか、琵琶湖のどこが美しいのかが書かれていないからわからない」
「和歌を思い浮かべるという発想が古い。私なら映画のシーンを思い浮かべます。」
あるいは、
「感動したいなら、私はエグザイルのコンサートが良い」
「全体を見れば美しい風景でも、近くにはきっと虫が飛んでいてきも~い」
「和歌を思い浮かべたのは気取っている。J-POPで良いじゃん」
要するに、文章の全体ではなく、文の部分を切り取って、その部分に反応するようになるわけです。
そして、それがいまどきの「国語力」になっているわけです。
つまり、児童たちが教科書や筆者の書いた文章を評価しているわけです。
なるほど考えてみれば、いまのテレビなどのメディアがそうです。
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-3487.html
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正に、麻生副総理の「ヒトラー」の発言も
またいつものカスゴミの「言葉狩り」ですね。
保守速より
麻生太郎副総理兼財務相は30日、
派閥の研修会の講演で
「ヒトラーは、いくら動機が正しくてもダメ」と発言
http://hosyusokuhou.jp/archives/48799629.html
この発言に何の問題があるのか?
暇つぶしにどうぞ〜主にマスコミ不信問題を扱っています〜ブログより
マスコミの恣意的すぎる言葉狩り
http://ooguchib.blog.fc2.com/blog-entry-95.html
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