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“遠州日の丸会” 発足 平成24年11月1日
遠州日の丸会は日本と故郷遠州を護ることを目的とした市民によるグループです
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小学生、中学生、高校生の皆様へ ~もうあなた達は本当の歴史に気づいているはず!~
先生がやたらと支那(中国)、朝鮮(韓国・北朝鮮)に偏る。 朝日、毎日新聞を教材に
テスト問題で日本が侵略、植民地支配したことが前提となっている。何でもすぐ戦争
一方的に反原発を植え付ける。日本が大虐殺や女性を性奴隷したことになっている。
などありましたら情報を!学校名、学年、教科、内容を忘れずにご記入ください
あなた達の情報によって故郷や日本を取り戻すことになります(^O^)/
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※いただいたコメントはブログで紹介することもございます。返事にはお時間をいただきます
反映されたくない方はその旨をご記入ください 反映するかしないかは当ブログ側の判断となります
2013年02月22日
竹島近海で韓国によって銃撃され拉致、死亡した一般漁民
1952年2月4日、wikipedia参照 ⇒ クリック
福岡県北湊町の大邦漁業株式会社所属の漁船、第一大邦丸と第二大邦丸
(それぞれ乗組員22名)は、済州島に近い公海上に設定された
284農林漁区で操業していた。
午前7時ごろ、韓国漁船第一昌運号・第二昌運号
が接近してきて、友好的な態度をよそおい、
「魚はとれますか?」
などと日本語で話し掛けてきた。
韓国漁船はそのまま行き過ぎ、付近で操業をはじめたという。
ところが、この漁船には武装した韓国の憲兵を含む7~8人が潜んでおり、
漁船に偽装した武装船だった。
第一大邦丸が網揚げ作業をはじめたとき、およそ30mの距離から
無警告で、韓国漁船に潜んでいた憲兵が
”自動小銃で日本漁船を攻撃”しはじめた。
このときに第一大邦丸の漁労長・瀬戸重次郎さん(当時34歳)の後頭部に銃弾が命中、意識不明の重体となった。
これにより二隻の日本漁船は、韓国武装船に拉致された。
日本人漁師たちは韓国警察に、頭部に重傷を負った瀬戸さんのすみやかな治療を懇願
したが韓国側の医師は見ただけで「これは駄目だ」と言って手当を拒否
日本人漁師たちは、医療設備が整った韓国軍の病院で治療を受けられるようにしてくれ
と抗議したが何度も拒否。それでも食い下がって何とか入院の承諾を得た。
日本人漁師たちは病院までの搬送の間に死なないように、
生命維持のためリンゲル注射をしてくれるよう求めたが、
韓国人医師に
「リンゲルは高価だから」
と冷たく言われ躊躇
日本人漁師たちが、自分たちの所持品を売って現金を払うという約束をして、
ようやく瀬戸さんはリンゲルを一本注射をうってもらえた。
ところが韓国側の入院の承諾はウソだった。
瀬戸さんは放置されたまま 「救急車よ早くきてくれ」
という日本人漁師たちの願いも空しく瀬戸さんは2月6日23時ごろ亡くなった。
同日より警察に火葬の手配を頼んだが黙殺され、
船員は残った私物の一部を売り払って葬儀一式を整え、
足りない薪を付近の松の枝などで補ってさらに翌日に火葬した。
一方、残された日本人漁師たちは韓国側に拉致され”取り調べ”を受けている最中、
4畳の広さに18人が監禁され
全く食事を与えられないという虐待を受けた。
取り調べにおいても無理やり「自分たちは韓国領海を侵犯しました」
という内容の調書へ署名させられた。
ところが海図など取り調べ調書がデタラメであったことが判明、
在日米軍のグリッチ少将が事件解決に乗り出し李承晩大統領と会見、
李承晩は韓国憲兵隊が日本漁船を公海上で拉致した事に遺憾の意を表明
これによって日本人漁民と漁船の返還が決定され、2月15日に済州島を出発、
アメリカ軍のフリゲート艦に付き添われてようやく帰国した。
日本人漁師たちは韓国を出航するとき、ずうずうしくも韓国側から
「内地へ帰っても韓国のいわば官憲の悪口を言わないようにしてくれ」
と言われたという。
これが第一大邦丸事件である。
これだけではないのです。
1965年までに、
韓国側の蛮行によって
・死亡 44人
・拉致 3929人
・拿捕漁船 328隻
に及ぶ。
日本の第三興洋丸が韓国側に拿捕された時に
日本人捕虜らしき人物が拷問を受けた傷をさらし黒こげになってる姿
この国の民と自分は仲良くする気も共生する気も一切ない。
磐田市はここに中学生を派遣するのです。
浜松市はここの人のために多言語表示をするのです。
遠州日の丸会 渥美
福岡県北湊町の大邦漁業株式会社所属の漁船、第一大邦丸と第二大邦丸
(それぞれ乗組員22名)は、済州島に近い公海上に設定された
284農林漁区で操業していた。
午前7時ごろ、韓国漁船第一昌運号・第二昌運号
が接近してきて、友好的な態度をよそおい、
「魚はとれますか?」
などと日本語で話し掛けてきた。
韓国漁船はそのまま行き過ぎ、付近で操業をはじめたという。
ところが、この漁船には武装した韓国の憲兵を含む7~8人が潜んでおり、
漁船に偽装した武装船だった。
第一大邦丸が網揚げ作業をはじめたとき、およそ30mの距離から
無警告で、韓国漁船に潜んでいた憲兵が
”自動小銃で日本漁船を攻撃”しはじめた。
このときに第一大邦丸の漁労長・瀬戸重次郎さん(当時34歳)の後頭部に銃弾が命中、意識不明の重体となった。
これにより二隻の日本漁船は、韓国武装船に拉致された。
日本人漁師たちは韓国警察に、頭部に重傷を負った瀬戸さんのすみやかな治療を懇願
したが韓国側の医師は見ただけで「これは駄目だ」と言って手当を拒否
日本人漁師たちは、医療設備が整った韓国軍の病院で治療を受けられるようにしてくれ
と抗議したが何度も拒否。それでも食い下がって何とか入院の承諾を得た。
日本人漁師たちは病院までの搬送の間に死なないように、
生命維持のためリンゲル注射をしてくれるよう求めたが、
韓国人医師に
「リンゲルは高価だから」
と冷たく言われ躊躇
日本人漁師たちが、自分たちの所持品を売って現金を払うという約束をして、
ようやく瀬戸さんはリンゲルを一本注射をうってもらえた。
ところが韓国側の入院の承諾はウソだった。
瀬戸さんは放置されたまま 「救急車よ早くきてくれ」
という日本人漁師たちの願いも空しく瀬戸さんは2月6日23時ごろ亡くなった。
同日より警察に火葬の手配を頼んだが黙殺され、
船員は残った私物の一部を売り払って葬儀一式を整え、
足りない薪を付近の松の枝などで補ってさらに翌日に火葬した。
一方、残された日本人漁師たちは韓国側に拉致され”取り調べ”を受けている最中、
4畳の広さに18人が監禁され
全く食事を与えられないという虐待を受けた。
取り調べにおいても無理やり「自分たちは韓国領海を侵犯しました」
という内容の調書へ署名させられた。
ところが海図など取り調べ調書がデタラメであったことが判明、
在日米軍のグリッチ少将が事件解決に乗り出し李承晩大統領と会見、
李承晩は韓国憲兵隊が日本漁船を公海上で拉致した事に遺憾の意を表明
これによって日本人漁民と漁船の返還が決定され、2月15日に済州島を出発、
アメリカ軍のフリゲート艦に付き添われてようやく帰国した。
日本人漁師たちは韓国を出航するとき、ずうずうしくも韓国側から
「内地へ帰っても韓国のいわば官憲の悪口を言わないようにしてくれ」
と言われたという。
これが第一大邦丸事件である。
これだけではないのです。
1965年までに、
韓国側の蛮行によって
・死亡 44人
・拉致 3929人
・拿捕漁船 328隻
に及ぶ。
日本の第三興洋丸が韓国側に拿捕された時に
日本人捕虜らしき人物が拷問を受けた傷をさらし黒こげになってる姿
この国の民と自分は仲良くする気も共生する気も一切ない。
磐田市はここに中学生を派遣するのです。
浜松市はここの人のために多言語表示をするのです。
遠州日の丸会 渥美
Posted by 遠州日の丸会 at 18:05│Comments(0)
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