“遠州日の丸会” 発足 平成24年11月1日
遠州日の丸会は日本と故郷遠州を護ることを目的とした市民によるグループです
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小学生、中学生、高校生の皆様へ ~もうあなた達は本当の歴史に気づいているはず!~
先生がやたらと支那(中国)、朝鮮(韓国・北朝鮮)に偏る。 朝日、毎日新聞を教材に
テスト問題で日本が侵略、植民地支配したことが前提となっている。何でもすぐ戦争
一方的に反原発を植え付ける。日本が大虐殺や女性を性奴隷したことになっている。
などありましたら情報を!学校名、学年、教科、内容を忘れずにご記入ください
あなた達の情報によって故郷や日本を取り戻すことになります(^O^)/

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※いただいたコメントはブログで紹介することもございます。返事にはお時間をいただきます
反映されたくない方はその旨をご記入ください 反映するかしないかは当ブログ側の判断となります
2015年10月16日
静岡県焼津市にある「焼津神社」ヤマトタケル
ヤマトタケルノミコトが祀られる焼津神社へ参拝して来ました。

車のナビで焼津神社をルート案内させると必ず神社西側の中学校の運動場北側を周り、
一方通行の多い細い道に誘導され、挙句神社の北側入口辺りで「この付近です」ってな感じで
途中でナビが案内を放棄してしまい、初めて行った時は本当に困りました。
以来今回で3度目ですが、今度は途中からナビに逆らって大通りに出てから神社の南側、
つまり正式な入口へ向かう道を覚えたので、そちらから無事に到着しました。
私のお友達も同じ様にナビに案内されて非常に困ったとのことでしたので、
今後参拝される方はナビに頼り切らず、地図などでも確認してみるといいと思います。
さて、ヤマトタケルと言えば「古事記を知らなくても名前は知っている」とか
「ヤマトタケル=草薙の剣」など神社の御祭神としてはかなり認知度が高い神様です。
「古事記」では倭建命、「日本書紀」では日本武尊としるされています。
ネットなどではわりとバラバラですが、私個人的には大和尊命と言う字で書かれているのが好きです。
この焼津と言うのは大和尊命の足跡により命名された地名であり、
1300年以上も前に書かれた古事記にそのエピソードが登場します。
日本の神話の中に近しい地名があると、やはり嬉しいものです。

焼津神社は、この様に銅鐸と言うか青銅色の鳥居から神社へ入ります。
少し歩くと右側にヤマトタケルの石像があります。
結構な高さにあるので下から見上げてみます。
「こんにちは、大和尊命さま」

大きな1枚岩に見える手水場です。

近くで見ると迫力あります。

その先に進むと左側に焼津出身の戦没者を祀る立派なお社があります。

日本を自分の命と引き換えにお護りくださった御霊にご挨拶をしていきましょう。

さらに焼津天満宮。

歌碑があります。
東風(こち)吹かば 匂いおこせよ梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ

菅原道真公に思いを馳せて。
歌碑を挟んだ参道の右側には社務所があり、国旗がはためいています。

この焼津神社は社務所だけでなく国旗掲揚ポールにもしっかりと国旗掲揚がされていました。
御本殿は既に鳥居をくぐってから見えています。

綺麗で立派なお社です。

この焼津神社は北側からの入り口にも手水場があり、
漁業が盛んな土地柄、それにまつわる石碑も立ち並んでいて
地域に根付いている神社の風格が感じられました。
最後に焼津の地名となった場面を簡単にご紹介しておきます。
土地の役人がヤマトタケルを迎え「草原の神が従わないから成敗してほしい」と沼に案内した。
しかし,それは罠であった。いつの間にか草原に火がつけられ炎に囲まれてしまった。
弟橘比売とともに焼かれてしまうところだったが,持っていた天叢雲(あめのむらくも)の剣で
まわりの草を刈り,叔母にもらって持っていた火打ち石で向かい火をたいて火の向きを変えた。
このとき風向きも味方した。ヤマトタケルは罠に陥れようとした者たちを斬り殺して焼いた。
この地が静岡県の静岡市(旧清水市か焼津市)ではないかと言われている。
そして草薙の剣について。
天叢雲(あめのむらくも)の剣で草を薙ぎ払ったことから、のちに「草薙の剣」と改名し、
現在は熱田神宮の御神体としてお祀りされています。
ちなみに静岡県清水市にある草薙神社もヤマトタケルの火難伝説に関連する神社と伝えられています。
遠州日の丸会 花緒

車のナビで焼津神社をルート案内させると必ず神社西側の中学校の運動場北側を周り、
一方通行の多い細い道に誘導され、挙句神社の北側入口辺りで「この付近です」ってな感じで
途中でナビが案内を放棄してしまい、初めて行った時は本当に困りました。
以来今回で3度目ですが、今度は途中からナビに逆らって大通りに出てから神社の南側、
つまり正式な入口へ向かう道を覚えたので、そちらから無事に到着しました。
私のお友達も同じ様にナビに案内されて非常に困ったとのことでしたので、
今後参拝される方はナビに頼り切らず、地図などでも確認してみるといいと思います。
さて、ヤマトタケルと言えば「古事記を知らなくても名前は知っている」とか
「ヤマトタケル=草薙の剣」など神社の御祭神としてはかなり認知度が高い神様です。
「古事記」では倭建命、「日本書紀」では日本武尊としるされています。
ネットなどではわりとバラバラですが、私個人的には大和尊命と言う字で書かれているのが好きです。
この焼津と言うのは大和尊命の足跡により命名された地名であり、
1300年以上も前に書かれた古事記にそのエピソードが登場します。
日本の神話の中に近しい地名があると、やはり嬉しいものです。

焼津神社は、この様に銅鐸と言うか青銅色の鳥居から神社へ入ります。
少し歩くと右側にヤマトタケルの石像があります。
結構な高さにあるので下から見上げてみます。
「こんにちは、大和尊命さま」

大きな1枚岩に見える手水場です。

近くで見ると迫力あります。

その先に進むと左側に焼津出身の戦没者を祀る立派なお社があります。

日本を自分の命と引き換えにお護りくださった御霊にご挨拶をしていきましょう。

さらに焼津天満宮。

歌碑があります。
東風(こち)吹かば 匂いおこせよ梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ

菅原道真公に思いを馳せて。
歌碑を挟んだ参道の右側には社務所があり、国旗がはためいています。

この焼津神社は社務所だけでなく国旗掲揚ポールにもしっかりと国旗掲揚がされていました。
御本殿は既に鳥居をくぐってから見えています。

綺麗で立派なお社です。

この焼津神社は北側からの入り口にも手水場があり、
漁業が盛んな土地柄、それにまつわる石碑も立ち並んでいて
地域に根付いている神社の風格が感じられました。
最後に焼津の地名となった場面を簡単にご紹介しておきます。
土地の役人がヤマトタケルを迎え「草原の神が従わないから成敗してほしい」と沼に案内した。
しかし,それは罠であった。いつの間にか草原に火がつけられ炎に囲まれてしまった。
弟橘比売とともに焼かれてしまうところだったが,持っていた天叢雲(あめのむらくも)の剣で
まわりの草を刈り,叔母にもらって持っていた火打ち石で向かい火をたいて火の向きを変えた。
このとき風向きも味方した。ヤマトタケルは罠に陥れようとした者たちを斬り殺して焼いた。
この地が静岡県の静岡市(旧清水市か焼津市)ではないかと言われている。
そして草薙の剣について。
天叢雲(あめのむらくも)の剣で草を薙ぎ払ったことから、のちに「草薙の剣」と改名し、
現在は熱田神宮の御神体としてお祀りされています。
ちなみに静岡県清水市にある草薙神社もヤマトタケルの火難伝説に関連する神社と伝えられています。
遠州日の丸会 花緒
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