
“遠州日の丸会” 発足 平成24年11月1日
遠州日の丸会は日本と故郷遠州を護ることを目的とした市民によるグループです
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小学生、中学生、高校生の皆様へ ~もうあなた達は本当の歴史に気づいているはず!~
先生がやたらと支那(中国)、朝鮮(韓国・北朝鮮)に偏る。 朝日、毎日新聞を教材に
テスト問題で日本が侵略、植民地支配したことが前提となっている。何でもすぐ戦争
一方的に反原発を植え付ける。日本が大虐殺や女性を性奴隷したことになっている。
などありましたら情報を!学校名、学年、教科、内容を忘れずにご記入ください
あなた達の情報によって故郷や日本を取り戻すことになります(^O^)/

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※いただいたコメントはブログで紹介することもございます。返事にはお時間をいただきます
反映されたくない方はその旨をご記入ください 反映するかしないかは当ブログ側の判断となります
2017年05月29日
入院して手術した時に会った外国人ナースの話<に>
そして身体に一通りコードが付いて「ピッ、ピッ」脈拍音が聞こえ始め、
気がつけば手術チームが打ち合わせをしています。
結構な人数だな、7人位?
もっといたかな?
話し声が微妙に聞こえたり聞こえなかったり。
耳をそば立てていると
「わぁ~っ。えーんえーん。ギャーーギャー。バタバタバタ」
まだこの時は手術室のドアが開いていたので廊下が見えていたのですが、
どうやら手術をする予定の子供が怖くなって逃げ出した様です。
私の手術室の前でうずくまって泣き始めました。
「どうするんだろう?」と他人事ながら気になっていたのですが、
多分こんなのは日常茶飯事なのでしょう。
私の手術チームはチラッと見たものの、リアクションなし。
淡々と段取りの確認をしていた。(後日談3)
そうこうしていると麻酔科の先生が来ました。
あの例のマスクを見せられます。
そのマスクからはシューシュー聞こえる。
「これを近づけますので、大きくゆっくり息を吸って吐いてを繰り返して下さい」
キッチリ鼻と口を覆われるのかと思ったら、鼻の5cm位上で先生が持っていました。
いよいよですね、私。
意識を失うんですね?
ワクワクw
何秒数えられるかなぁ~。
1、2、3、4、5、6・・・
あぁ、眠る前のすごく気持ち良い感じ、麻酔ってこんなんなんだ~。
7、8、9、10、11、12、13・・・
・・・おいおい、意外と数えられ・・・。
「大丈夫ですか~?聞こえますか~?」
無事手術は終わり、私は13まで数えられたのを思い出しました。
ポヤポヤしているんだけど、眠くはなくて、痛くもなくて、
ただ身体がカッカしてて熱いなぁと。
部屋に戻ると家族が来ていました。(後日談4)
私はとにかく手術室はあーだった、こーだったと
覚えている事を怒涛の様に喋りまくりました。
もしかまた寝てしまっても家族に話しておけば、
この貴重な体験を思い出せると思ったので。
ひとしきり喋ってネタも尽き、
家族もこんだけ喋りゃいつも通りだと1時間ほどで帰って行きました。
私はその後、翌々日の朝食まで絶飲絶食が続きます。

これが ひじょーーーーに辛かった。
夜中に薬が切れて、もんどり打つほど痛いのも辛かったけど、
でも食べたいのに食べれない、飲みたいのに飲めれないのはかなり厳しい。
もうこれは現代の拷問です。
わかっている様な気でいたけど、しみじみ、
食べられる事に感謝しなくては、と思いました。
術後は丸1日、寝たまま過ごさなければいけません。
足にエアークッションが巻かれ、定期的に加圧・減圧を繰り返します。
健康体の時はこんな事をやれるものなら
「なんて素敵なマッサージョナリ~」なんて思ったかもしれませんが、
手術のダメージをほぼ感じていなかった私は
早くこんなものを脱ぎ捨てて自由に動きたくて仕方なかったです。
ただ寝ている事が苦痛だなんて思いもしなかった。
手術日の夜、巡回に来たナースが「ハミガキシマスカ?」と聞いてきたので
(またこのイントネーションだよ)
「はいぃ〜」
そのナースはアジア系の外国人でした。
ちなみに検温などをする正式ナースと研修インターンのナース、その他雑務ナースがいました。
(後日談5)
この外国人は研修インターンナースでした。
ハブラシを出してもらうのに
まず、棚を開け、バックを出し、袋を探し、歯ブラシを出します。
ハブラシには歯磨き粉までつけてくれました。
そして磨き終わった後はコップに水を入れて、吐き出す用の器を持ってきて、
それも洗って、ハブラシまで洗ってくれました。
至れり尽くせりです。
私は足がエアークッションに固定されているので、
ベットをほんの少しだけ角度をつけるだけで動けません。(後日談6)
歯磨きにまつわる全ての事をやってくれたのは良いんですが、
棚の扉は開けっぱなし、バックはチャックが開けっ放し、
中身は色々出しっぱなし、ハブラシの入っていた袋も出しっぱなし、
おまけに歯磨き粉のキャップまで開けっ放し。
全てやりっぱなしで行ってしまいました。
ちょっと日本人では考えられませんよね。
入院して手術した時に会った外国人ナースの話<いち>
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
http://hinomarukai.hamazo.tv/e7456484.html
気がつけば手術チームが打ち合わせをしています。
結構な人数だな、7人位?
もっといたかな?
話し声が微妙に聞こえたり聞こえなかったり。
耳をそば立てていると
「わぁ~っ。えーんえーん。ギャーーギャー。バタバタバタ」
まだこの時は手術室のドアが開いていたので廊下が見えていたのですが、
どうやら手術をする予定の子供が怖くなって逃げ出した様です。
私の手術室の前でうずくまって泣き始めました。
「どうするんだろう?」と他人事ながら気になっていたのですが、
多分こんなのは日常茶飯事なのでしょう。
私の手術チームはチラッと見たものの、リアクションなし。
淡々と段取りの確認をしていた。(後日談3)
そうこうしていると麻酔科の先生が来ました。
あの例のマスクを見せられます。
そのマスクからはシューシュー聞こえる。
「これを近づけますので、大きくゆっくり息を吸って吐いてを繰り返して下さい」
キッチリ鼻と口を覆われるのかと思ったら、鼻の5cm位上で先生が持っていました。
いよいよですね、私。
意識を失うんですね?
ワクワクw
何秒数えられるかなぁ~。
1、2、3、4、5、6・・・
あぁ、眠る前のすごく気持ち良い感じ、麻酔ってこんなんなんだ~。
7、8、9、10、11、12、13・・・
・・・おいおい、意外と数えられ・・・。
「大丈夫ですか~?聞こえますか~?」
無事手術は終わり、私は13まで数えられたのを思い出しました。
ポヤポヤしているんだけど、眠くはなくて、痛くもなくて、
ただ身体がカッカしてて熱いなぁと。
部屋に戻ると家族が来ていました。(後日談4)
私はとにかく手術室はあーだった、こーだったと
覚えている事を怒涛の様に喋りまくりました。
もしかまた寝てしまっても家族に話しておけば、
この貴重な体験を思い出せると思ったので。
ひとしきり喋ってネタも尽き、
家族もこんだけ喋りゃいつも通りだと1時間ほどで帰って行きました。
私はその後、翌々日の朝食まで絶飲絶食が続きます。
これが ひじょーーーーに辛かった。
夜中に薬が切れて、もんどり打つほど痛いのも辛かったけど、
でも食べたいのに食べれない、飲みたいのに飲めれないのはかなり厳しい。
もうこれは現代の拷問です。
わかっている様な気でいたけど、しみじみ、
食べられる事に感謝しなくては、と思いました。
術後は丸1日、寝たまま過ごさなければいけません。
足にエアークッションが巻かれ、定期的に加圧・減圧を繰り返します。
健康体の時はこんな事をやれるものなら
「なんて素敵なマッサージョナリ~」なんて思ったかもしれませんが、
手術のダメージをほぼ感じていなかった私は
早くこんなものを脱ぎ捨てて自由に動きたくて仕方なかったです。
ただ寝ている事が苦痛だなんて思いもしなかった。
手術日の夜、巡回に来たナースが「ハミガキシマスカ?」と聞いてきたので
(またこのイントネーションだよ)
「はいぃ〜」
そのナースはアジア系の外国人でした。
ちなみに検温などをする正式ナースと研修インターンのナース、その他雑務ナースがいました。
(後日談5)
この外国人は研修インターンナースでした。
ハブラシを出してもらうのに
まず、棚を開け、バックを出し、袋を探し、歯ブラシを出します。
ハブラシには歯磨き粉までつけてくれました。
そして磨き終わった後はコップに水を入れて、吐き出す用の器を持ってきて、
それも洗って、ハブラシまで洗ってくれました。
至れり尽くせりです。
私は足がエアークッションに固定されているので、
ベットをほんの少しだけ角度をつけるだけで動けません。(後日談6)
歯磨きにまつわる全ての事をやってくれたのは良いんですが、
棚の扉は開けっぱなし、バックはチャックが開けっ放し、
中身は色々出しっぱなし、ハブラシの入っていた袋も出しっぱなし、
おまけに歯磨き粉のキャップまで開けっ放し。
全てやりっぱなしで行ってしまいました。
ちょっと日本人では考えられませんよね。
入院して手術した時に会った外国人ナースの話<いち>
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
http://hinomarukai.hamazo.tv/e7456484.html
Posted by 遠州日の丸会 at 21:40│Comments(0)
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